2005年12月15日

JOHN LENNON “THE NEW YORK YEARS”

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JOHN LENNON “THE NEW YORK YEARS”


 1980年12月9日の夕方、高校生だった僕は寝転がってテレビを観ていた。5時半からのアニメの再放送(このときは「ルパン三世」だっただろうか?記憶は曖昧だ)が終わり、ニュースが始まった。
「元ビートルズのジョン・レノンさんが暗殺されました」
 なにいってんだ。そんなバカな。ウソだろ?世界が音を失い、それまで信じてきたものが崩れ去ってしまう、そんな経験を初めてした。
 FMの特集番組を聴きながら呆然と涙を流していた日々から、もう25年になる。四半世紀。いまだに痛みは消えていない。これは、ジョンがニュー・ヨークで過ごした10年間を、友人で専属写真家だったボブ・グルーエンの写真と文章で描き出した本だ。名曲が生まれた背景や、有名なエピソードの裏に隠されていた真実などが、描き出されている。

 最近では、ジョンはFBIに暗殺されたというのが定説になりつつあるようだ。FBIの監視記録も公開されている。ここで細かい論証をする必要はないだろうが、平和へのメッセージを発信し続けるジョンは、アメリカにとってとても目障りな存在だったに違いない。ジョンの活動が反戦ムードを作り出し、少なからずベトナムからの撤退に影響したはずだ。
 今の世界にとって不幸なことは“ジョン・レノン”がいないことだ。ジョンが生きていたら、9・11以降の世界は違ったものになっていたのではないか。そんな思いが拭い去れない。その意味ではアメリカにとってジョンの暗殺は成功だったわけだ。今、残念ながら“ジョン・レノン”のようなアーティストはいない。まあ、やりすぎればアメリカに殺されかねないと思うと、無理はできないのだろう。

 息子のショーンが生まれてからの5年間、ジョンは子育てに専念して一切の仕事をしなかった。ベッドでショーンを抱いたジョンの写真がある。まさしく光り輝く美しい日常の一コマだ。なんという幸せな表情なのだろう。家族と過ごす時間がどれだけ素晴らしいものだったかがうかがい知れる。その美しい日常を音楽で再び表現し始めたときに、それは起こってしまった。いや、入念に計画され、実行されたと言った方が正確だろう。
 九条の会の講演会で井上ひさしが、「平和」を守ろうと言ってもなかなか伝わらない、「日常」を守ると言い換えるようにしている、と言っていた。恋人とクリスマスイルミネーションを見て歩くこと、友達と暗くてボールが見えなくなるまで続けた野球、鉛筆を回しながら聴いた学校の退屈な授業、家族との夕食、ビールを飲みながらロッテの優勝を喜ぶこと、そんな日常を失わないために平和が必要なのだ。
 ジョンが最後に残した「ダブル・ファンタジー」もそのような日常の美しさに満ち溢れたアルバムだった。まだまだそんな人生の瞬間を輝く作品にしていってくれるはずだった。
 最後の5年間、ジョンは人生でもっとも幸せな時を送った。この写真集を見ると改めてそれが確認できるようだ。それだけが唯一の救いだ。

 ニュー・ヨークの貧しい街角で、古い家の壁に"Imagine"の歌詞が書かれている。

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

 最後のページにそんな写真がある。ジョンはもう居ないが、まだ忘れていない人たちはいる。僕も決して忘れない。一人一人がそれを忘れずにいれば・・・。

そういえば、もうすぐクリスマス。雪

So this is Christmas
And what have you done

And so this is Christmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
 …
War is over
If you want it
War is over
Now

こんなクリスマス・ソング、ジョン以外には書けないだろうな。

posted by yasu at 17:26| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月13日

戦争の記憶をさかのぼる

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戦争の記憶をさかのぼる   ちくま新書

    坪井 秀人/著  筑摩書房

    出版年月 2005年08月
    248p, 18cm, ¥777(税込み)
    ISBN 4-480-06252-1

 湾岸戦争当時、著者はとある国立大学のキャンパスで学生たちが戦争の推移について話しているのを耳にする。ハイテク兵器の名前や機能のすばらしさを挙げながら、ゲームを楽しむかのように嬉々として語り合っている。
 戦後50年の1995年、高市早苗衆議院議員は次のような発言をしている。
「少なくとも私自身は、当事者とはいえない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」
 小林よしのりや加藤典洋と高橋哲哉などの論争をよそに、「そんなことは、知らないよ」と無垢な声が響き渡る。
 戦後50年から戦後10年、さらに敗戦前後まで「記憶」を遡っていく。

 1995年8月15日の「毎日新聞」の社説と1985年のそれとの比較。

  1995年
   私たちは、私たちの父祖が中国や韓国、アジアの人々に犯した過誤をしっかりと見つめ、子孫としての道義的責任を痛感しなければならない。

  1985年
   いま私たちは、戦争を知らず、死者の思い出も持たぬ戦後世代に、あの戦争の意味を語り継がねばならない。被害者としての悲惨な体験だけでなく、日本が加害者の立場にあったことを正確に伝え、この世界には、平和にまさるいかなる価値もあり得ないことを知らせねばならない。

 10年間で語りの主体が変化している。

 さらに敗戦前後、メディアや文学者達がどのように戦争に荷担してきたかが掘り起こされ、ポツダム宣言を受諾した8月14日でも降伏文書にサインした9月2日でもなく、8月15日が終戦記念日として「玉音放送に涙する民草」という記憶を作られてきた仕掛けが解き明かされていく。そこでは敗戦という罪を背負った民草が天皇に赦され、それによって天皇も赦されてしまっている。
それにしても戦争意欲を煽った高村光太郎の無責任、新聞の厚顔無恥な無反省には驚くばかりだ。なんの反省もしないで今まで生き続けてきた新聞は、再び同じ過ちをくり返すのだろうか。
posted by yasu at 14:00| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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